その一 気血論

人間の体内には気血が運行している。昼間は陽気で二十五周、夜は陰気で二十五周している。故に一昼夜で体内を五十周することになる。しかし、気の生成は水と血が存在してこそ、経脈を通すことができる。気とは水と血が火によって化したもので、故に水と血は火がなしに気になることはできない。この火とは心火と命門相火を指す。命門相火とは腎中の火のことであり、水を気に化え、肝風を吹き動かし、気を体内に通す。心火は血を栄養に化え、血とは高栄養のものであり常に燃焼させ熱を生む。その熱は四肢百体に広がり暖める。故にその熱が余分ならそれが火となる。

腎とは骨を主とし、腎水が気化し、脊髄から脳に入る。故に脳は髄海であり、その水氣が上昇し雲と霧になり、雨露と凝り、大地(体内)に降り注ぎ潤し、萬物(各臓器、細胞)を養うのである。故に脊髄が移脱しているならば、気が上昇し行き渡ることができず、身体の痛み、半身が歪み枯渇する等の障害を生じさせることになる。例えば、頚椎のずれが甚だしいならば死を招いてしまう。また、腰椎を負傷した場合などは、気が下降できず下半身不随を導いてしまうことになる。中医曰く、腎気は命門を出て、背骨に沿って、指端から出て、五臓六腑に回帰する。骨節のずれから生ずる臓腑の衰退や痛みは、絶対に化学機材で検知されるものではない。愚かに頼ってはいけない。

細胞の気の交換により、細胞膜を通し細胞に入り、細胞に栄養を提供する。並びに、濃度の高い栄気は、その細胞が使ってしまった気を抜き出す。細胞の気の使用率は1%弱に過ぎない。その栄気は小腸(腎盂、近位尿細管、遠位尿細管、ヘンレ係蹄)に送られ、細胞をキレイにした後、99%は腎に回収される。回収に躓いたならば、栄養は下に流れれ、所謂尿淡白となる。更に重大な躓きが生じたならば、糖尿病のような栄養漏れを引き起こすことになる。故に栄養はあまり高くならないようにし、気の濃度を高くしてはならない。つまり、あまり高くなると、気の濃度も高くなり、気が細胞に入られなくなり、細胞は栄養を得られない故、細胞死する可能性が高くなるのである。同様の理由により血糖類が高くなった為、疲れて眠むくなる傾向も生み出す。

まさしく淡泊な飲食は、健康を保つための命を守る不二の法門真理なのである。これは花や野菜を育てる時も言えよう。肥料を遣り過ぎてはいけない。遣りすぎると必ず枯れてしまうのである。現在、問題は飲食上にあるのに、わけも分からず、間違えた栄養学の観念が流布することで大勢の患者が作られているのである。とりわけ、大出血している者にもし水を飲ませ過ぎたなら、気が栄血の中に入り、栄血の濃度が低くなった為、細胞液の抽出不能になり、その結果細胞は気血を交換できずに死亡してしまう。それは出血者の水の取り過ぎが死に至る原因になったのである。水を摂取し過ぎると、水が栄血の中に移動し、水寒の気が栄血を傷つけ、ついには心臓に及び心悸の不安を引き起こす。この原理から鑑み「健康のため沢山水を飲め」とは大きな誤りであり、馬鹿げた話としか言いようが無い。

人間は大気の中に生き、いつも外からの邪気(外邪)の侵入と戦っている。風、暑、湿、燥、寒、火の如何に関わらずいずれにしても傷み、必然と気凝血阻になってしまうのである。気凝になると酸素が足りなくなり、あくびをすることになり、身体は疲れ、眠くなる。これが重くなると水か痰に凝り、水飲痰気となり、気管支が咽せ、咳になる。血阻になると細胞の気が外に出れないようになり、身体が痛くなり、更に腰痛、関節痛、全身痛を引き起こす。このような時、人体は自ら必ず外邪を排出し始める。外邪を排出するには圧力が要り、圧力となるには熱が必要であり、人体はつい血圧を上げ、熱も生み出し、血糖も同時に上がってしまう。それ故本当に、血圧、血糖を検査するだけで薬を投与するということは正し行為と言えるのか。外邪を排出しないで、数字だけで判断し、病気を治療することとは、ただ悪戯に人体を傷めつけるだけではないだろうか。正しくは、一旦外邪を退けて全てを正常にさせることが先決であるから、外邪を排出することこそ第一要務なのである。例えば、人体の邪の排出機能を駆使しても、外邪を体内から出せないならば、それは人体自らの力が足りないのである。このような際、我々は肺兪、風門、身柱、命門に温灸を施し、気を熱くさせ、圧力を生じさせ、外邪を排出し易くさせるのである。その時、火傷などを避ける為、ドライヤーを使い温灸の代わりとすることもできる。もし前述のツボをドライヤーで温めるだけで不足なら、更に中脘、神闕、関元などをドライヤー灸をする。又効果が無いなら、湧泉、三陰交、足三里、陽陵泉を温める。気に十分な圧力を与え外邪を排出さえすれば、回復できない者は滅多にいない。つまり不通なら痛くなり、痛いなら不通。気分の悪い所があれば、ドライヤーで温めるのである。一旦気血が通ったなら、気分が悪くなることはまずない。それと同時に熱い生姜湯に刻み葱や大豆の醗酵食品の香鼓や黒砂糖を入れて飲めば、風邪を治すのに更に効果は上がり、これは医療の中で際立って効果のある治療法である。これを用いれば、どんな外邪なのか意にせずとも総じて効果があるのである。また、元気が衰えた時(虚)、外邪は身体に入るのであるから、外邪を退けたいならば、補中益気湯を更に加えて飲まなければならない。こうして一旦退けた外邪は再び侵入されることはあまりない。SARSでも鳥インフルエンザでも恐ろしくないのである。しかし、ここで強く言いたいことは、決して病が形成され、病症が出てくるのを待ってはいけないである。そこから再び処理するのでは遅すぎるのだ。改めて外邪を分類しなければならず、病位によって薬を選ばなければならないからである。易経にも記してあるように、「むしろ直の中から求め、曲の中から求めず」。病は迅速な処理が必要なのである。病気の変化を待ってから医者を求めてはいけない。病を探すことで病人を疲れさせてしまうだけである。そのことで投薬を間違えたなら正に最悪を招いてしまうのである。

以上の原理により、汗が出るまでツボをドライヤーで温めることが必要である。また、汗を直ぐかいた場合でも、汗が乾くまで温めることが不可欠である。何故なら、汗腺が開いた状態をそのままにすると、かえって外邪に侵入されるからである。稀に眩暈、吐気の症状が出る者もいるが、吐出してしまうと直ぐに治まる。これは所謂汗、吐、下、和、清、温、補、泄、治病八法の一つである。吐いた後、特別な処理は何もしなくていい。無駄な心配は無用である。しかし、眩暈の症状は最も恐しい。が、その確率は非常に低く、限りなくゼロ近い。だが万一直面したなら、冷静に人中を押さえ、生姜を一枚口に含み、温かいお湯を頻繁に飲み、ドライヤーで湧泉、足三里などを温めると、直ぐに頭がはっきりしてくる。絶対に救急車で病院に運んではいけない。却って命が危険である。何かあってからでは遅いので先に言っておくことにする。何故なら、如何なる治療は潜在的に危険を持っているのである。だがしかし、他と比べ漢方はその中で最も安全な治療の一種なのであるから。

血は体内にある時は気体で、栄気という。決して液体ではない。寒とは即ち血が凝り塊ったもの、寒凝なのである。洗髪後、乾かさなければ寒凝で頭痛になるし、冷たい物を沢山食べれば、寒気は胃の血を凝らし、その場合腫瘍の多くは食道の真下に出る可能性高い。冬なのにミニスカートを穿き、寒風が体内に侵入した場合などは、遂には子宮に鬱血を生じさせる。そうなると月経時に様々な症状を引き起こすのである。寒凝の場所が膀胱ならば、尿漏れを誘発するわけだから、おむつを使う日をお楽しみにしろ。と悪口で注意を促しておく。また、月経中に冷食を食したならば、特に鬱血し易く、それが子宮筋腫に変化する。その筋腫が化膿すれば、子宮ガンになるのである。そうなりたいなら、どんどん食べてくれ。故に寒の性質は下降沈澱するから、精室を傷つける可能性は大いに高い。男子なら精子が消滅し、女子なら筋腫になったり、肝と腎の水瘤などの寒凝病になることもある。冷蔵庫が発明されて以来、腫瘍の患者はものすごい勢いで増加し続けているのに、人々は冷蔵庫は科学のお蔭、生活レベルが高くなったと思い込んでいる。だがしかし、その中に潜んだ危険性はどれほどあるのかを分かる者は少ないのである。特にクーラーの招いた気凝が水湿病を作り、それが痰病に変化し、長時間経過すると、内熱が体外に放出されず、痰火性中風になるのである。こうなってしまってからでは後悔先に立たずである。

西洋医は何かあったらすぐ輸血する為、血液庫はよく在庫不足になる。西洋医はこれで金を得ているが、患者たちは本当に健康を得たのだろうか。もし血液が輸血され患者の体内に入り、完全に気化されないなら、鬱血が原因の様々な鬱血病を招く可能性のあることを理解している者がは幾人いるだろうか。特に輸血の後、身体のエネルギーが消耗され、虚寒に変わる。手足の末端の気化が足りない為、特に両足が黒く変色し、壊死していき傷口が治らないまでになる。こういう時に、元気を補い、鬱血を溶かす以外、他に方法は無いのである。だが、西洋医は手足を切断するしか方法がないと言うだろう。しかし患者が医者であるあなた自身なら、それを聞いてどのような感じを受けるであろう。と私は問いたい。病理や病因を鑑みずに、ただ闇雲に治療するのは無茶というものでなかろうか。その治療費として高額の医療費を稼ぐことに、自身で少しも疑問をもたないのであろうか。だとしたら、そういう者に命を委ねる世の中の患者たちは、あまりに可哀想なのである。

栄血は脈管の中で守られ、手厥陰心包の精を受け、常に気化の状態を保っているのである。が、もし体内の熱が熱過ぎれば裂けてしまうかもしれない。例えば、打撲や手術など外的衝撃が加わり、脈気の接続不能で栄気が漏れ出し、鬱血し、気血が進行不良になる。また、運が悪く鬱血が関節腔に滲み込んだならば、気と混ざり、血水になり、骨を腐食し、刺さるような激痛を呼び起こすかもしれないのである。その状態で長時間経つと骨が腐食され崩れ、その結果よくあるのは膝と寛骨の関節である。これは、西洋医の言う退化性関節炎という類に属するのである。西洋医の人工関節の手術を受けた者はその後、鬱血が更に増し、足まで流れ出し、どす黒いくなり、痒くてしょうがなくなる。だから多くの患者は皮膚が破れるまで掻き毟ってしまう。こういう傷口は癒合し難い。原因は鬱血が気血の流れを邪魔し、栄養が病位に送られず、終には細胞が代謝できなくなる。同じ原理で、人工関節と骨と結合部分は、骨髄液による潤滑と保護がされていない為、時間の経過と伴に細胞はまた死亡をしてしまい、再手術しなければならなくなるのである。私はこのような患者に降り注ぐ災難がいつになったら終結するのだろうかと危惧する。なのに西洋医は今尚このような手術で蓄財している。他人事ではあるが、夜穏やかに眠れるのだろうかと思うのである。自分の蓄財は患者の辛さと交換し、それで心安らかなのであろうか。この肉体の原理が分からないのであれば直ちに治療は止めてくれと私は言いたい。鬱血の招いた疾病は、鬱血を溶かすしか良策はないのである。筋肉の浅層部の患部であれば、拔罐療法で鬱血を取り除けば、効果が早く、治療期間も短縮できるのである。

鬱血は気血が正常に運行できないことで、常に末端まで栄養がうまく行き渡らず、身体が震えるようになったり、パキンソン病になったり、また前述の痒い症状も出る。最も大変なのは筋肉が萎縮することである。が、ただ根気強く鬱血を取り除けば、筋肉萎縮症は治癒の機会がないわけない。問題は根気強い人が少なく、途中で放棄してしまい、、結局最後は寝たきりになってしまうのである。実に嘆かわしい。例えば、ここに一本の木があるとする。たかが二、三ヶ月で逞しい樹木に育つわけは無い。早急な結果を求めることは、木に魚が実ることを求めると等しく、絶対に不可能なことなのである。

最も大変なのは交通事故による出血である。もし出血の場所が頭部ならば、何年か経った後、様々な不可思議な症状が現れてくる。例えば、神経が圧迫された頭痛、眩暈、歩行のバランスが崩れる、視力の悪化などである。例えば西洋医は、X線写真に、白黒の点の影があるからといい、鼻腔癌と判断することがある。その結果癌治療の法を施され、患者は日に日に衰え虫の息にされてしまう。こうなってしまって人間らしい生活をしろといっても無理だろう。西洋医はこんな時にまだ言うのか「冷血でなければ医者になれない」と。冗談ではない。更に言えば、癌という衣で己の無知蒙昧を隠してはいけない。そんな馬鹿なことが有ってはならない。このような患者は正しい整骨法で、頭の骨を元の位置に戻し、活血化鬱法で治療しさえすればいいのではないか。それで良くならない訳が無い。

熱があれば気が漏れる。故に熱や火を持っている人のよくある症状は喉が渇くことである。こういう時に気をつけなければいけないことは、必ず西洋医の「沢山水を飲めば、健康に成る」の言葉である。いずれ飲んでも飲んでも喉の渇きが止まらなくなる。その時は百病に至ってしまったのである。糖尿病、尿の泡、尿の濁り、夢精、精子漏れ、結石など。最も悪いのは腎臓萎縮と衰弱が起こることである。これは死に至る。唇が渇いたから、水を沢山飲めば問題は解決するなどと望んではいけない。熱は即ち上に向けて燃焼する。気脈がもしで炸裂したならば、西洋医に無菌性髄膜炎と判断される。もし他の器官や乳房の中で炸裂したならば、水瘤になる。このような患者は、まず最重要なのは熱火を取り除くるの(清熱)が第一で、それから「破気行水」、所謂気を通すことである。手術の必要は全くない。熱を取り除かずして、病の根本問題を解決できる訳が無いであろう。もう一つは寒気で凝った水からなる水瘤である。このような腫瘍はただ熱を抑えれば治ると思うだろうか。この時は温化法で温めないといけない。腫瘍と診ると直ぐに切りたがるが、それは正しい処置だといえるのか。熱も炎症止めで熱を退けるのでは、ただ寒に寒を施しているに過ぎないのだ。人の命を軽んじてはいないだろうかと西洋医に問いたい。

熱が強ければ水が乾く。故に栄気の中に熱があれば、水気が乾き濃く粘ってくる。血中に熱があるのである。流動が困難になったとき、鬱血は堆積し易く、腫瘍類を形成する。熱火の快速の性質は、腫瘍の成長も早くする。この時、熱火を抑え鬱血を散らす方法(清火散鬱法)を取らずに、メスで切り取ったところで、問題を解決できるわけではあるまい。この類の腫瘍が初期段階であれば体内消去法を用い溶かせば良い。化膿していれば、気血は必ず弱くなるので、補法を用いなければならず、中から腫瘍の塊を外に排出するのが正しい治療法である。化学治療で体内を殺菌する治療で、西洋医はどれほど多く無駄死に招いてしまったのだろうか。結局、肉の腐敗の後、虫が発生するわけで、虫が腐敗を発生させたのではない。故に治療法は腐肉を排出し、新しい肉を再生させるのである。死んだ細胞は無いのに、菌が発生するわけが無いだろう。また、殺菌だけで何も解決できないだろう。治療と同時に患者に元気な気を養わなければならないのである。また、長く病を患っている患者には攻撃的な薬を使ってはいけない。いつも一つの薬、一つの法で治療するということは、これが正に前代未聞の愚かな治療に他ならないと言えよう。

作者 漢方医 黄成義

翻訳 梅沢菊子、桑田徳

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